発するのは「声」?「言葉」?「頸」
- ハラダ
- 2017年4月18日
- 読了時間: 2分
「本日も新幹線をご利用いただきまして、ありがとうございました。お帰りどうぞお気を付けください。」
いつもの新幹線。いつものアナウンス・・・のはずが、なぜか今日は響いてきました。
顔を上げると、改札を出て家路に急ぐ人たちの表情が疲れ切っていました。なにも今日に限ったことではないと思ったのですが、さきほどの駅員さんのアナウンス「お帰りどうぞお気を付けください。」の一言が、ほっこり響きました。
毎日、いろんな場面で型をなぞった様々な言葉を耳にします。「ありがとうございました。」「おはようございます。」「かわいい。」「すごいですね。」「大変申し訳ありません。」・・・等。自分もそうですが、職場のドアを開けると、ほとんど無意識で「おはようございま~す。」と誰に届けるわけでもなく声を発しています。そう、言葉を発しているのではなく、声を発している!自分の言葉には、目に見えない音に乗らない「気持ち」が足りない。
日本には、言霊という言葉があります。一般的には言葉に宿ると信じられた霊的な力のこととされています。
なにも霊的なものが必要というわけではなく、自分の発する声に、本当に相手に伝えようとする気持ちがのっていけば、それは本当に「言葉」になるのではないかと思うわけです。だからこそ、あの駅員さんの「お帰りどうぞお気を付けください。」の言葉にほっこりした気持ちにさせられたのかもしれません。
先生がおっしゃっていました。太極拳もまずは型を覚えていくが、外側ばっかりでは本当の太極拳にたどり着かない。丹田からの頸を通すことや運気させること、つまり体の中への意識が大切と。
駅員さんの体の中から発せられた言霊がのった言葉は、人の心をほっこりさせる力を持っていました。私も、明日の朝は体の中から